ヘッジホッグ、汗と涙のワーホリ物語NO.49
「恐怖体験 前編」

チカちゃんからの電話の声は、とても震えていた。
「話したいことがあるんです。時間ありますか?」

この声を聞いて、僕は只ならぬ予感がした。今までにも、いろいろな相談をいろいろな人から受けたことがある。おうちの住人とうまくいっていないとか、英語が伸びないとか、日本の彼が連絡をくれなくなったとか...。しかし、今回に限っては全く空気の違う凍えるものを感じたのであった。“どうしたんだろう?一体、チカちゃんの身に何があったのであろう?”見当のつかないこの問いに、ますます僕も不安になっていった。
「今日のお昼にでも会おうか?」
僕は彼女の心細い「はい、わかりました。」という声を聴いて、携帯の通話のスイッチをオフにした。とにかく“会わなくては”、その念にかられて身支度を急いだのであった。

僕らは、いつものピカデリーサーカスの三越の本屋で待ちあわせをすることにした。 ここは前にも述べたように、お互いが偶然再会した場所である。2時の待ち合わせだったが、僕は少し早く着くことができた。チカちゃんも時間どおりに現れたが、やはり元気がないのが見ているだけで伝わった。そしてチカちゃんと僕は、ご飯を食べながらという形で韓国レストランに向かった。

食事が済むと、ついに彼女の口から今回の悩み事を明かしだした。
「実は、今、うちに帰ることができなくて...。困っているんです。」
「おうちに帰れない?また、どうして?」
思いもかけないスタートに僕も戸惑いがちに聞き直した。
「恐いんです。また、誰かが押しかけてくるんじゃないかって。」
「誰かって...誰が?」
僕は、ますます何がなんだか混沌としてきた。ただ1つだけ予想できるものがあった。それは、チカちゃんのおうちの周りがあまり治安のよい場所ではないことに関係しているのでは、ということであった。以前、彼女のおうちに夜更けに遊びに行った時に感じたものだが、そのフラット(日本でいうマンション)はすべての外窓と扉に鉄柵がしてあり、窓を割られたり扉を開けてもすぐに人が入ってこれない仕組みになっていた。それは安全そうで、裏を返せばそれだけ安全な環境でないことを意味する。帰宅の際、チカちゃんに、「危険な匂いがするところだね。」といったのだが、その時はチカちゃんも「どんな匂い?」と冗談で聞き済ませていた。しかし、それが現実に起こってしまったのだろうか...。

彼女は、僕の方をじっと見て話を続けた。
「今から1週間前のある日のことなんですが、うちの住人のスウェーデン人の男の子が夜遅くうちに戻る途中、すぐうちの真下の階で黒い人たちが話しているのを聴いたっていうの。その話の内容が、“麻薬の取り引きだった”って。そして、その彼が言うには、どうも薬のバイヤーがこの辺にいるらしくて、変な奴が来るかもしれないので、とても危険だから決して窓とか扉の戸締まりとか気をつけないといけない、と忠告してくれたんです。」

彼女は、白湯のような韓国の暖かいお茶を1、2度啜り、話を続けた。
「そしてその晩...、そんな話の後じゃないですか、すごく恐くてなかなか眠りにつけなかったんですよ。それでも、結局、心配のしすぎだったようで、何も起こらなかったんです。」僕は、その言葉を聴いたと途端、少しホッと肩の力が抜けたのを感じた。そして、彼女が僕を再びグッと見つめて話だしだので、急に体中に緊張が走った。
「ところが、そのお昼に...。」
彼女は話すのを躊躇った。そして僕も息をのんだ。張り詰めた空気の中で、チカちゃんは、思い出すのも嫌なようにそのおぞましい続きを話し出したのであった。

つづく



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