| N社の仕事がスタートする前に、片付けなくてはいけない大きな問題があった。
「ウェンディー、久しぶりだね。」
僕は、彼女のご機嫌を伺うように話し出した。
「あら、ヒロ。私のために花束でも持ってきたのかしら?」
学校のアコマデ―ションオフィサーを担当するウェンディ―は、大好きなお花の話を持ち出して陽気に談笑をかわした。
多くの生徒から彼女はやや気分屋さんとして知られている。機嫌が悪い日に会ったりすると、ズケズケと10倍になって質問の答えが冷厳とともに返ってくる。だから、彼女のご機嫌を伺う事は、僕らにとっては一番重要なミッションでもある。これをクリアしていれば、たいていはうまく行くとも言われている。そして、今回はそのミッションに成功したようである。
「ところで話があるんだけど、あの......実は、学校を去らないと行けないんだ。来週にね。実はフルタイムの仕事が見つかってね。日本の会社なんだ。」
僕は、ためらいがちに彼女に伝えると、彼女は大きな目で僕の顔をじっと見つめた。
「あんたさ、学生ビザでしょ。」
さっきの陽気な声が全く潜めて、むしろ容疑者を突き止める取調べの警察官のように追い詰めるような口調になった。
「ちがうよ、ちがう。僕はワーキングビザを持てるんだ。それは、問題じゃないよ。」
僕は一生懸命自分を弁護すると、彼女は、「あっそ。」と、いつもの素っ気無い返事が返ってきた。
(これは、どうやらウェンディ―さまの気分を害してしまったようだ。)
そして、続けるようにウェンディ―は話しだした。
「去ると言う事は、うちの学生じゃないので今住んでるところ出ていってもらう事になるわ。」
「いつまでに?いつまでに出なきゃ行けないの?」
僕は心配そうに尋ねるた。
「いつまで?もちろん、学校は来週末にタームが終わるんでその前よね。」
その前といっても、家はそう簡単に見つかるものではないのである。多くの学生が、家探しに苦労して探している。人によっては1ヶ月経っても見つからない人だっている。それを突然、たったの1週間で見つけろだなんて、無茶な話でもある。僕は、駄目もとでウェンディ―に尋ねる事にした。
「あのさぁ、ひょっとしてこの近くで募集している空き部屋知らないかな?」
ウェンディ―は、大きな目をさらに大きくして、
「あんたね、うちの学生の家探すのでも大変なのよ!あんたの家まで構ってる暇はないわ!」
これだ。これが周りの学生から酷評を買っているウェンディ―の余計なきつい一言である。ウェンディ―の机の前に座っていた僕は、これ以上雷が落ちないように慌てて席を立ち、逃げ出すように部屋を飛び出そうとした。すると、
「まぁ、新聞広告を気にして目を通しといてあげるわ。お金のない学生より、あんたみたいな労働者のほうが募集している家が多いからね。また、2,3日後、ここに寄りなさい。」
と、予想外の優しい言葉が返ってきた。
僕は嬉しそうに「ありがとう。」と言うと、彼女は、
「あんまり当てにしないでよ。」
と机の前に置かれた書類に目を通していた。
そして3日後。その間調べたが、どうもこれという物件はなく、神頼みでウェンディ―に会いに行くことにした。いつも同様、恐る恐るウェンディ―の館に繋がる扉を開けると、彼女はチラッとこちらを見て言った。「アラッ。」今回も運良くご機嫌なようである。
「ちょっと片付けないといけない仕事があるから、そこに座って待っていて。」
僕は腰掛け、この真黄色の壁に目をやった。たくさんの写真が額に飾ってある。どれもこれも、ウェンディ―の写真だ。(いったい誰が撮ったのであろう?確か、独身だと聞いていたが、友達、いや両親か兄弟だろうか。そういえば以前、ウェンディ―の家でシェアをしていた女の子から聞いたことがある。家中も自分の写真だらけらしい。よっぽど写真が好きなんだろう。それでも、自画像だしなぁ?朝、目覚めにこの写真が、新しい1日をつかさどる朝日よりも目に飛び込んで来るんだよなぁ?僕は絶対、そんなところ我慢できないなぁ。)
「さて。」ウェンディ―はひと仕事終えたようで、引出しからメモ用紙を取り出した。
「これなんてどうかしら?週70ポンドで、今のあんたの部屋より高いけど、大きな部屋にキッチンが付いていて光熱費も込みよ。うちでやってるクリスチャンの寄り合いで今、空き部屋の住居人を探しているていう口コミがあってね。ちょうどヒロにいいと思って、電話番号を聞いといたのよ。」
僕は開いた口が閉じることができなかった。ウェンディ―さまさま、それしか言いようがなかった。他人の噂では、とても人のことを気にしない不親切な人のように言われていたが、それは全くの誤解であった。むしろ、親切じゃないか。僕はウェンディ―にこの上ない喜びの気持ちを伝えて部屋を去ろうとすると、ウェンディ―は僕を呼びとめてこう言った。
「みんな、お礼にチョコレートを持ってくるけど、私は食べるものはいらないからね。持ってくるなら花束でいいからね。アハハハハ。」
僕も彼女につられる様に大笑いをした。
つづく
|