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時の流れは早いものである。その流れに付いて行くのが精一杯で、気が付くと故人の悲しみもいつのまにか忘れてしまっている。それでも時々一人ぼっちになった時に考えてしまう。そんな生活が続いた5月の半ば。英語のレベル向上が全然進歩していない自分に悩んでいた時期だ。そして、例のだだっ広いオフィスクリーナーの仕事にようやく慣れはじめた頃でもある。
その仕事の帰り道の出来事である。あたりは、トワイライト色で染まり、家から漏れる明かりとうまくマッチアップしていた。それはやや幻想的であり、しかし見方によっては日本人ならではの詫び寂びともとれるだろう。M4(こちらでいう高速道路)の上を通る高架を自転車で渡ろうとした時、向かって歩いてきた二人のアジア系の青年2人とすれ違った。その時。
「コンニチハ。」
片方の青年が、僕にとって懐かしい言語で挨拶をした。僕は、自転車で上り坂をいっしょうけんめいこいでいたが止めて慌てて振り向くと、彼のほうもこちらに向きを変えて歩み寄ってきた。
「ニホンジンノ、ヒトデスネ。」
彼はうれしそうに話し出した。
「ボクネ、ニホンガダイスキデス。ニホンジンモダイスキデス。ニホンノリョウリモダイスキデス。ニホンノ、........ウン、スベテガダイスキデス。」
僕は、初対面とはいえ、あまりの日本びいきに驚き、嬉しさとやや怪しさを感じた。
「アナタネ、ナマエ、ナンテイウンデスカ?」
(ほらっ、身元調査ときた、思ったとおりなんか裏があるかもしれないぞ)
以前、アメリカをバックパックで旅行した際、ニューオーリンズで同じ様な経験にあっている。これまたアジア系の青年だったが、通りすがりに「ニホンジン?ボク、オキナワダイスキ。オキナワニイッタコトアル。オキナワノジョセイキレイ。」
僕は、突然話しかけられてビックリしたが、まさかこんなアメリカの南部で日本語を片言ながらも話せられる人に出会たことにちょっと感動を覚えた。
「ありがとう。日本がそんなに好きなんですね。」
彼は、嬉しそうにしながらも人の話を聞いていないかのように話しを続けだした。
「ボク、イイミセシッテルヨ。シャチョウサン。」
「社長さん?」
僕はこの時初めて彼が何者であるか、わかった。彼は、人の良さそうな振りして結局はそういったたぐいの呼び込みだったのだ。そうここは、ニューオーリンズのバーボンストリート、あってもおかしくない話である。
そう、今回もそのたぐいの関係者かもしれない。僕は用心深そうに日本語で、
「僕の名前は、ヒロ。あなたの名前は?どこの国のひとですか?どれくらいここに滞在しているのですか?」
たくさんの質問を付けて答えた。
「ワタシノナマエハ、ハーンデス。アナタハ、ヒロサンデスネ。ワタシネ、アフガニスタンジンナンデスケドネ、ニホンデシゴトヲシテイマシタ。ヨネン、ニホンニイマシタ。ニホンネ、トッテモイイトコ。ニホンノヒト、ミンナトッテモシンセツ。ダカラ、ボク、ダイスキナノ、ニホンガ」
どうも彼は、そのたぐいの職業の人ではなさそうだ。嫌な媚びさがない。
僕は一人、彼について考え事をしていると、
「アナタハ、ココデナニシテルノデスカ?ガクセイ?エイゴヲベンキョウシテルノ?イイデスネ。ボクハ、フツウニナリタイデスネ。デモ、ワタシノクニトッテモヨクナイ。アナタモシッテルデショ。アンゼンニナルマデクニニモドレナイ。ダケド、カンタンニ、ビザモラエナイ。ワタシタチネモドルトコロガナイ。ドコノクニモ、ミンナワタシタチヲクニニイレテクレナイ。ミンナ、ワルイコトスルトオモッテル。ワタシタチ、ナニモシテイナイヨ。ダケド、イギリスハチガウ。ダカラ、イマ、トラベラートシテココニイル。ハヤク、アフガニスタンニカエリタイ。カゾクニアイタイ。」
彼は寂しい目をしていた。
「早く、自由に国に帰れる日が早くくるといいですね。」
ありきたりの言葉しかこの時は送れなかったが、彼の言葉の重さからして僕が返す言葉は、どれをとっても同じ質を持ったものにはならなかっただろうと思う。
彼は手を差し出した。
「イギリスデ、ニホンノヒトニデアエテウレシカッタ。イマ、ボクノオトウトガ、ニホンデシゴトシテル。ボクモ、マタ、ニホンニイキタイ。ホント、キョウ、アリガトウ。ニホンゴ、ハナセレテ、ウレシカッタ。」
僕らは握手をしてその場を別れた。
「日本語を、話せれて嬉しかった、か。」
僕は自転車を運転しながら、独り言のようにつぶやいた。英語を話せられないとぼやいている自分が恥かしくなった。言葉は勉強じゃない。互いのコミュニケーションの方法の一つではなかろうか。だから、互いに通じ合えたことに喜びを感じられるのだ。
僕は、帰宅路を急ぎながらもう一度独り言を、言い聞かせるようにつぶやいた。
「そっか、もう少し楽しんでいこうか。」
つづく
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